メニューを閉じる

町の歴史

詳細(1)

 

町の歴史

本町は、大化の改新の際、国府による郡制が敷かれたことにより発足した。

 享保2年から幕末までの150年間、神石郡は分割統治され、幕領と豊前中津藩(現大分県中津市)の所領であった。中津藩は神石郡37か村中22か村、甲奴郡12か村、安那郡2か村を領とし、備後地方の代官所を小畠(三和地区)に置いた。嘉永5年には、古川村(神石地区)を除く上豊松ほか14か村が、福山藩領に編入された。

明治4年の廃藩置県により、神石郡は倉敷県に属し、後に深津県に属した。その後、新たに小田県と改正し、明治8年には岡山県と合併したが、翌年の明治9年には岡山県から分離し、広島県との合併を行った。

明治11年の郡区編制法を期に、郡役所を小畠(現在の本庁舎付近)に置き、郡内の統制を行った。

明治22年の村制施行により、各小村は合併等を行い神石郡は30か村となり、明治32年には郡役所を油木地区に移し、統制を図った。

以後、神石郡内の各地で合併が行われ、昭和34年に油木町、神石町、豊松村、三和町の4町村の体制となった。

その後、4町村で神石郡広域事務組合を設立し、ごみ、し尿の処理、斎場の運営、介護保険の運営等の広域行政を推進してきたが、地方分権の推進、行財政改革、日常生活圏の広域化に対応した合併への協議を進め、平成16年11月5日、4町村が合併して「神石高原町」が誕生した。
 
上へ戻る